私たちは社会に存在する「見えざる力」に縛られて生きています

ここから4回に分けて、この「見えざる力」の存在について話します

子供のころに感じた見えざる力

小学校や中学校のテスト

学校に入ると否応なしにテスト漬けになります

さらに進学する際には選抜のための入試があります

「いい高校に入りたい」

そうは思っても、学区と自分の偏差値で選択肢が自ずと決まってしまいます

私立だと少し選択肢が増えるかもしれません

ただし、地方ではその数が限られるでしょう

普通科に進学する場合、「自分はどんな職業に就くのだろうか?」ということは、あまり真剣に考えません

あるいは「考えるのが面倒だから、問題先送りとして普通科を選択する」というのもあるでしょう

そして、「そこそこの学校に行けるように頑張ろう」と思うのです

大学の選択もほとんど同じです

しかし、大学の場合は、学部、学科を決めなければなりません

高校の時に比べ、自分の適性、希望の職種を意識し、あとは偏差値と相談して、そこそこの大学に行けるように頑張ります

どうしてそうするのでしょうか?

周りがそうしているし、学校、教育産業が、「そうするのが当たり前だ」という空気を作っていたからです

今から考えると、見えざる力が働いていたのです

その見えざる力は、高校、大学、会社といった「限られた募集枠に何とか入らなければならない」と私たちを駆り立てています

これは哲学者の内山節さんのいう「ポジション取り」です

このポジション取りは、会社に入ってからも続き、人勢の大半がポジション取りというゲームで過ごすことになります

子供にとっての幸せとは何か?生き甲斐とは何か?

「幸せとは何だろうか」「どんなときに生き甲斐を感じるだろうか」

子供のころに、このような問いを立てて、脳みそに汗をかきながら真剣に答えを見つけようとしない限り、

「いい成績をとる」「いい学校に行く」

といったことが、「幸せ、生き甲斐である」と勘違いし、「良い学校」、「学力」、「富」が価値観として刷り込まれていきます

場合によっては、親、学校、教育産業がその刷り込みに力を貸します

こうして、見えざる力がポジション取りゲームに子供たちを駆り立ててきたのです

ポジション取りに成功することが「幸せな人生」と刷り込まれるのです

見えざる力の影響を受けているのです

次回は、このポジション取りゲームは「どのように作り上げられてきたのか」、「守られ続けていくのか」について考えていきます(つづく