便利さを与えてくれるツール
私は手ぶら通勤が好きである。両手に何も持たない解放感は、なんとも言えない。また、「自分は体一つで仕事が出来る」なんて気にもさせてくれるところも気に入っている。
そんな手ぶら通勤に一役買っているのがスマホである。
スマホは電話やメールだけでなく、定期、電子マネー、本、ラジオ、音楽プレイヤー、動画再生、経路案内、地図など色んなことができるからだ。
もちろん通勤に限らず、色んな場面で活躍する。
このように、自分に便益を与えてくれるものは、なるべく身の回りに置いておきたいものだ。
便利であることの代償
それだけに、スマホが故障したりすると大変なことになる。
他の機能は、我慢できても、定期だけはまずい。最悪自腹で切符を買う羽目になる。
便利に慣れてしまうということは、それに依存している自分に変化してしまうということだ。依存体質への変化と言っても良い。
そのことを自覚して、スマホが壊れるような不測の事態に陥っても、「これまでの便益を受けてきた代償である」と腹を括られるうちはまだ良い。
しかし、依存体質への変化にすら気づかず、さもそのことが当たり前のことであるように振る舞い、他責の態度を貫き通されるようでは頂けない。
壊れたスマホを床にたたきつけ、周りの人に不快な感情を振りまくのは、思慮分別が足りない。おとなげない人とみられても仕方ないだろう。
過剰な便利さの追求する哀れな人たち
さらには、自らの不遇を嘆き、過剰な便益を要求する大人もいる。
依存体質の代償を自責と捉えることができないような人なので、その依存体質を強化するを厭わない。
哀れな人たちである。
「当たり前と思わないようにしなさい」「感謝の気持ちを忘れないようにしなさい」というような先人の教えの大切さを改めて感じる。
便利さの追求は自分の立場を不自由にする事を自覚しなければならない。
自由とは何か
人はひとりで生きることができない。
自分の周りにある物や人の恩恵を受けながら生きている。
生まれたときから依存体質なのである。とても不自由な身なのである。
ところで「自由である」ということはどういうことだろうか。
自由: 他からの強制・拘束・支配などを受けないで,自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。
スーパー大辞林
自分の意志で、自分が縛られているものから、自らを解き放つ行動こそ、自由である。
生まれたときから依存体質である我々は、自由な状態に身を置くということは割と難しいことなのかもしれない。
「生かされている」という身の上を自覚した上で、自由を求めるということなのだろうか。