私たちは、職場やプライベートにおいて様々な課題に出会います

中にはどうしようもない難題があったりします

  • 色々な人が解決しようとしたけれど、どれも効果がいまいち
  • 焼け石に水のような対策しか打てない
  • その課題の当事者たちも諦めて、課題を受け入れてしまっている

佐伯啓思さんの著書「20世紀とは何だったのか」に、ハイデガーの「存在の問い」についての説明がありました

この「存在の問い」が上記のような課題を解くひとつのアプローチになるかなあと思いましたので、ここでご紹介します

「存在の問い」とは

部屋の中に1つの机があるとします

その状態を説明するときに、

  1. 「これは机である」
  2. 「ここに机がある」

という2つの言い方ができます

この2つには大きなちがいがあります

1.は、部屋の中にあるものが「机」と断定した言い方です

「その存在」が前提となっており、存在しているものが「机」であることと述べています

「存在していること」がスタートなので、次なる関心は「それは机なのか?」「これはどういう種類の机か?」とか「この机はどういう材料からできているのだろうか?」といったように対象物に向かいます

「複雑なものを単一の基本的要素に還元して説明せねばならない」とする還元主義的な考えがここから始まります

この還元主義的な考え方は、近代科学の基礎であり、我々が当たり前のように考える方法です

他方の2.では、「ここに机がある」と机の「存在そのもの」を指摘しています

従って、次なる関心は「なぜ何もないのではなく机があるのか?」「なぜ他の何かでなく机なのか?」といった「存在そのもの」に対することに向かいます

これがハイデガーがいう「存在の問い」です

「存在の問い」がもたらすもの

1.のように「対象物」を言及するのか、2.のように「存在」を言及するのかによって、人の関心の向かう方向が大きく変わることが重要です

特に、2.の「ここに机がある」という言い方は、「なぜ何もないのではなく机があるのか?」といった「何もない状態」を想像させたり、「なぜ他の何かでなく机なのか?」といった「机とその周りにあるものとの連関」に関心を寄せることができます

会社の中では様々なルールや慣習があります

既に存在するものに疑いもせず、そのルールや慣習を行うことが目的となっている状態は、我々がよく目にすることです

このような手段を目的にしてしまう「自己目的化」によって、本来の目的を喪失しているのではないかというのが、ハイデガーの指摘です

「存在の問い」を行うことが、我々が信じて疑わないものを改めて問い直し、本来の目的探しをもたらしたり、問題解決のブレイクスルーにつながることになります

風土改革での使い方

冒頭でも申し上げた「職場における難題」を解決させるために、この「存在の問い」を持ち込むことによって解決の糸口を見つけることができるかもしれません

風土改革での使い方は次の通りとなります

解決しようとしている業務のルール、業務手順、役割などに目を向けて、それが無い状態を想像させたり、それと周りにあるものとの連関を問うような議論を行います

議論はそれぞれ立場の異なる人たちになるべく多く参加してもらいます

自由に意見が述べられるように、哲学対話のような手法を用いて話すのが良いでしょう

最後に

著書「20世紀とは何だったのか」の中で、佐伯啓思さんは、ハイデガーの教えを引用しながら、我々の生き方に関する助言を与えています

現代では世界のいっさいの目的が失われている。にもかかわらず、それを認めようとせず、手段を目的にしてしまうこと、そのことが今日の深刻なニヒリズムであるとハイデガーはいいます

このニヒリズム状態にあって、再び良い生き方、人々との社交、生活を律する価値や倫理、それを模索する思想の準拠を探し求める必要があります。

職場の中だけでなく、我々の人生においても、「存在」を問うことが必要なのでしょう