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災害は二度の喪失を人々にもたらす
瀬尾夏美さんの「二重のまち/交代地のうた」という書籍を読みました
この本は東日本大震災の津波被災地を題材とした書籍です
陸前高田では津波で多くの犠牲を払いましたが、二度と津波で悲劇を繰り返さないようにと地面の嵩上げを行いました
二重のまちとは、埋め立てられたまちと嵩上げ後のまちのことを指します
かつての町が嵩上げ工事によって埋め立てられてしまう姿を見て、「第二の喪失」と感じる地元の人がいるそうです
津波による喪失が第一の喪失で、嵩上げ工事による喪失が第二の喪失です
「いつまでも悲観してはいけない」、「前を向いて生きていかなければならない」と思っても、何もなかったかのように様変わりしていくまちを受け入れられない気持ちもあるのでしょう
瀬尾さんは、このようにかつての町跡が失われていく、またそのように感じている人の存在を知って、「かつてのまちや営みを想像するための細い糸が欲しいと思って書いた」と述べています
何もなかったと思われるのが一番悲しい
瀬尾さんは、この本を通じて広島にも第二の喪失を感じる人が多いことを知ります
原爆の焼け跡で遊びながら育った地元のおじいさんから、平和記念公園も1mぐらい嵩上げしていることを知りました
おじいさんは瀬尾さんを追悼平和祈念館の地下へ連れて行き、地層の標本を指差し長ら原爆で焼かれたもの全てがそのまま埋められていることを教えます
埋め立てで綺麗になった平和記念公園を見た人たちに対して、おじいさんは「何もなかったと思われるのが一番悲しい」と言ったそうです
自分を変えることができない人もいる
地方では若者が流出し、高齢者の人口比率が高まっています
そんな土地で一人暮らしをしている親を心配した子供が、自分の暮らす街に親を引き取ろうとするのですが、自分の土地から離れたくないと思う親がいると聞きます
そのような人たちの心の中には広島のおじいさんとの間には、同じ思いがあるのでしょうか
自分の人格の一部となるような思い出を持つ人たちもいます
思い出を失うことは自分を失うことに近いのでしょう
自分を変えることが難しい人もいることを、我々は忘れてはなりません