アイキャッチ画像:Pexels.com

9.11以降ムスリム(イスラーム教徒)に対する誤った認識が流布したことがありました

それは過激な行動を厭わない人たちという認識です

私はムスリムの存在は知っていても、身近にいなかったので、ムスリムの知識がほとんどありませんでした

そういうこともありムスリムに対して誤った認識が強化されることもなく過ごすことができました

先日、自身もムスリムである中田考さんの話をビデオドットコムでお伺いし、「イスラム教ではそういう考え方をするのだ」という新鮮な気分を味わうことができましたので、そのお話をしたいと思います

人は平等と考える西欧主義、平等ではないと考えるイスラム教

西欧では「人々は自由で平等である」と考えますが、中田さんはこの西欧主義を理解できないと言っています

そもそも、イスラム教では、人々は平等と考えておらず、生まれた時から持つ力は人によって違うと考えています

私も「人には平等の機会が与えられてほしいなあ」とは思いますが、これまでの人生経験から周りを捉えてみると西欧よりイスラム教の考え方の方がしっくりします

最近「親ガチャ」というスラングが使われていますが、生まれ持った容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるのは誰にでも身近に感じることではないでしょうか

人々は生まれながらに平等ではなく、人によって持っている力は違うと考えるので、イスラム教ではそれに応じて果たすべき義務が異なると教えるそうです

優れた力や富を持っている人は、それに応じて社会に負う義務が大きいのだそうです

西欧主義の弊害

中田さんは、「自由で平等」という価値観を普遍的なものとして人々に押し付け、皆んなで決めたことだからそれに従ってくれという西欧の考え方にも理解できないともおっしゃいます

イスラム教の教えでは「他人の気持ちは分からないのが当たり前」で、何に価値を認めるかは人によって異なると考えるそうです

仏教の「人によって世界観が異なる」という考えに通じるものがあります

同じ考えを持っていないくても共存はできるので、価値観を押し付ける必要なないと言います

確かに西欧の考え方が普遍的になると、「人々には平等な機会が与えられているのであるから、成功しないのは自分の努力が足りないのだ」という行き過ぎた考えに世界が染まりがちとなります

自己責任と言って弱者を切り捨てようとする国の治め方は、その行き過ぎた一例とも言えるでしょう

日本でもこの西欧的な考え方、価値の認め方が一般的でありますが、無批判に受け入れるのではなく「これは本当に正しいのだろうか」と考え直すことも必要ではないかと思わせるものでした

東アジアにおける中国と日本の役割

中田さんは中国のあるべき姿についてもお話しされてました

現在の中国は武力で治める「覇道」の道を進んでいるが、昔の中国は優れた知識人を多く輩出しており、仁徳で国を治める「王道」を実践していた時代もあったと指摘します

中国は王道の立場をとって東アジアをまとめていくのが良いとおっしゃっていました

さらに日本の役割として、アニメに期待しているそうです

東アジアの国々では日本のアニメが人気だそうで、子供たちはアニメを通じて、善悪や正邪といった教養を学ぶのだそうです

このアニメによるソフトパワーで東アジアをまとめていくのが日本の役割ではないかと言ってました

アニメは人種や文化といった文脈依存性が少ないので、色々の国々で受け入れやすそうです

西欧主義の一員の立場にいる日本ですが、盲目的に付き従うのでなく、独自のアイデンティティを持って日本が進べき道があるのではと考えさせられました