注意:ネタバレあり
書店主フィクリー
新聞の社説に紹介されていた「書店主フィクリーのものがたり」
妻ニコルを亡くした書店主フィクリーは、荒れた生活を過ごしていたのですが、所蔵していたE.A.ポーの稀覯本「タマレーン」を盗まれ、自暴自棄になっていたところに、店内に捨てられていた2才の子供マヤを育ていることから、彼の人生が変わっていく物語です
「本好きの方へ」との触れ込みから手に取りましたが、本好きでなくても楽しめ、気楽に読み進めることができます
囚われの服を脱いでいく
フィクリーだけでなく、書店のあるアリス島で暮らす警察署長ランビアース、ニコルの姉イズメイ、その夫のダニエル、出版会社のセールスで後の妻となるアメリアなどなど、それぞれの人生も描かれていきます
もちろん、彼の養女となるマヤの成長も
フィクリーは偏屈者です
プリンストン大学のような名門校を出てしまうと、これ!という固定概念ができてしまって、周りが色あせて見えてしまうのでしょうか
それは、自分が作り上げた「囚われ」に、身動きが取れないようにも見えます
しかし、マヤとの出逢いを始め、アリス島の住人たちとの触れ合いの中から、この囚われが徐々に外されていきます
まるで「囚われの服」を脱ぐように
最後に残るものは
失神の持病を持つフィクリーは、失語症の症状が出て、病院の検査で「多形性膠芽腫(こうがしゅ)」という脳の病気にかかっていることが分かります
手術と放射線治療を施し、余命1年と宣言されます
次第に言葉を忘れるようになり、愛娘マヤとの意思疎通もできなくなってしまう
死の間際の記憶が遠のく中で、人生をともに過ごした人たちとの愛だけが残ることを悟り、息を引き取ります
人は裸で生まれ、社会での生活、教育、仕事などを通じて様々なものを得ることができますが、それらが囚われとなって不自由に感じるようにもなります
それは不自由ではなく、問題や悩みとして気づくのかもしれません
しかし、人との出逢いによって、異なる価値観に触れることで、その囚われの服を脱ぐこともできます
そして、死ぬときは、本当に大切なものがなんであるかと気づくことができれば、幸せなんだろうと思います
そんなことを考えさせられる本でした