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現在の東京は「クリーンな都市」のイメージがありますが、昭和30年代までは現在のニューヨークと同じようなゴミ事情でした
ここでは、昭和の美化運動をご紹介して、そこから働きやすい環境作りのヒントを学びます
東京をクリーンな街へ
昭和30年代のゴミ事情の実際はどうだったのでしょうか
ネットで調べてみました
塵芥箱と大八車
昭和30年代までは塵芥箱(じんかいばこ)が街中に置かれていました
私も微かに記憶があります
クリエイティブディレクターの故岡康道さんが自伝「夏の果て」で、子供の頃にごみ箱に火を投げ込んで、お仕置きとして木に縛られたというエピソードを紹介していますが、彼の世代を考えると、このような塵芥箱に火を投げ込んだのだろうと想像されます
当時は、ゴミ回収車はなかったので、大八車でゴミを回収していました
東京オリンピック前の東京は、急速な都市化によりゴミ処理が追いつかない状況となっていました
やはり大八車によるゴミ処理では限界があったのだろうと推測できます
市民の意識も低く、処理しきれないゴミは川に捨てているような状況でした
これはさすがにニューヨークよりひどいですよね
1964年の東京オリンピック
1964年に東京オリンピックが開催することが決まり、オリンピックに相応しい街作りを進めていきました
ところが、厄介だったのは、東京の街並みに捨てられていたゴミの問題です
オリンピックを契機に海外から多くの観光客を呼び込もうとしていたのにもかかわらず、ゴミが散らかった街で観光客を迎えるわけには行かない状況が待ち受けていたのです
ニューヨーク式のゴミ回収で首都美化運動へ
頭を抱えていた東京都は、1960年に来日したニューヨーク市清掃局長から助言を受けて、持ち運び可能な容器を各戸に据え付けて定期的に収集するニューヨーク式のゴミ回収を採用することになります(出典:プラスチック製ゴミ容器 ポリペール(積水化学工業))
この容器がポリペールというポリバケツです
このポリペールにゴミを入れて、ひょいと持ち上げてゴミを回収できるゴミ回収車を定期巡回させる仕組みが作られました
ポリペールは軽いこともあり、持ち運びが便利で、水洗いができるので清潔に保つことができます
塵芥箱のように持ち運びができず、掃除も大変だったことを考えると、ポリペールはきっと当時の主婦の心を掴んだことでしょう
導入当初も色々と問題はあったのだろうと思います
ポリペールにゴミを入れずに、相変わらず塵芥箱や塵芥箱周辺にゴミを投げ捨てる住民もいたでしょう
しかし、「東京を綺麗にしよう」という美化意識と、「世間の目」という市民同士の監視によって、次第にポリペールを使ったゴミ処理に習慣づけられていったのだと思います
昭和の美化運動から学ぶ働きやすい環境作り
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2021年東京オリンピックは開催の機運に水を差されているような状況ですが、昭和の東京オリンピックは国を挙げての一大イベントで大変盛りあがったのではないかと思います
このようなポジティブな雰囲気の中で、「東京を綺麗にしよう」という意識が東京都民の価値基準として共有されるようになったのではないでしょうか
この美化意識が「自分たちの街は自分たちで綺麗にする」という自律的なゴミ処理の行動を促したのだと思います
この一人ひとりのゴミ処理の行動を支えたのが、東京都がニューヨーク市清掃局長の助言を元に作り上げたゴミ回収システムです
この昭和の東京の美化運動から、職場の社員が自律的な社員となるにはどのような環境作りが必要なのかについてお話しします(つづく)