正面に向かい合わせで立っている男性の読む本が私の胸に当たりました。電車の揺れるたびに当たるので、非常に不快な思いです。
その時の自分の心を内観しました。 2つの感情があります。
1つは相手への感情。それは怒り。どうしてこんな混んでいる車内で、しかも他人の体に向けて本を広げることができるのだろうという感情。これは「混雑している車内では人に迷惑をかけてはいけない」という私の信条から導き出された感情です。
もう一つは自分への感情。それは苛立ち。自分は嫌な気持ちをしているのに、どうしてはっきりと「嫌だ」と言えないのだろうという感情。これは「自己主張の失敗というトラウマが過去にあり、嫌だという主張に踏み切れない無力な自分へ否定」からくる感情だと思います。
この二つの感情が織り交ざりながら、電車の揺れるたびに当たる本に意識が集中し、他のことは何も考えられない「囚われの状態」に陥ってしまいます。
このとき、ふと「アサーション」って言葉が頭をよぎりました。心理療法で使われるトレーニングです。アサーションは「自己主張」という意味があるのですが、心理療法で言われるアサーションは、「辞めて下さい!」って攻撃的な主張をするのではありません。自分と他人の持つお互いの境界を尊重しながらも、自分が感じている心を相手に開示する事としています。
この場合なら、「あなたの読書を邪魔するつもりはありませんが、あなたの本が私の体に当たって、私は嫌な気持ちになっています」という自己主張になるでしょうか。
こうすることによって、お互いの接し方に曖昧な部分がなくなり、また私の自分に対する否定的な感情から、
- うまく相手と接することができたこと
- 囚われている自分から脱却できたこと
から生まれる自己肯定感が増します。
アサーションって、車内で何もできずにいる「囚われの自分」を断ち切るきっかけを作ってくれる、ひとつの技術かもしれません。