自分の人生の中心に置くことのできる「衝動」を持つ、このフリー・クライマーがうらやましいと感じた。
すべての判断が「登ること」に優先されるシンプルな生き方だ。
「皆は、そんな衝動を持っているか?」と問いかけているようだ。
絶壁の自然に対峙し、生かされている自分を感じることができる。
登っているときの自分は、迷いもなく、無の境地なのかもしれない。
彼自身、「登ることを何と表現して良いのか分からない」と言っている。
完成された人生がそこにあるのでは無く、探求のまっただ中にいるのかもしれない。
「人生をシンプルにし、迷いが消える生き方ができる」と感じる事ができた、あるフリー・クライマーを紹介したブログを引用します。
《あなたは登っているか? フリー・ロッククライマーの動画が心に火を灯す》
ブログ Art-of Non-conformity でアメリカのロッククライマー Alexander Honnoldさんをフィーチャーした動画が紹介されていました。
Alexander Honnoldさんはロープなどの助けを借りないフリーで単独の岸壁登頂、しかもそのスピードタイトルの保持者として知られています。
また、自動車で暮らし、月に1000ドル以下の収入で生活を営んで常にクライミングをしている特異なライフスタイルの人物としても知られています。
動画の、本人のナレーションを翻訳してみましたので読んでみてください。登りたくなりますよ。
コツはない。コツは17年間、毎日が練習だということだ
自分は大学が好きではなかったし、他の何についても情熱を感じることができなかった。登ることを除いては。
自分にとって登ることがなんであるかなんて表現できない。それは僕がいつもしていることで、生活の基盤で、なにもかもが登ることを中心にめぐっている。
僕は基本的に自分の車で生活している。同じ場所には一ヶ月から6週間以上滞在しない。天気に常に注意をはらい、暑すぎない、寒すぎないといったコンディションが常に念頭にある。移動しやすくなければいけないんだ。
僕はこのライフスタイルで何かを犠牲にしているとは思わない。僕は自分が登る時間を最大化するためにこのライフスタイルを選んだのだから。アパートに住んで、一ヶ所に繋がれていていつも登ることができないなら僕には価値がないんだ。
一日いちにち、毎日、僕は「今日も登りたい」と選択をしている。
僕は単独で、安全装置なしで登ることで知られている。なぜかはわからないのだけど、この巨大な壁を自分だけの力でロープもなしに登ることにとてもインスパイアされるんだ。
それは上手に、完璧に登ることを要求する。
その秘密はメンタルのなかにあるんだ。必要なのは登りたいという欲求、モチベーションだけ。
コツなんかない。コツがあるなら、それはこの17年間ずっと練習をしているということだろう。
登ることの中心にあるのは、止まることのない動作への志向と、常に限界へと自分を追い詰めて新しいことを学ぶことにあるんだ。
僕の母はじっさい最初からこの生き方を支持してくれたんだ。自分の人生をどうしたいか意識的に選択をして、その方向にいきなさいと。
一日いちにち、毎日、訓練して、ずっと試して、夢を追い求めるんだ。それが僕のしていることだ。
毎日登ること
Alexの動画をみて、何を感じるでしょうか? 畏怖? 夢を追い求めることの素晴らしさ? 彼のシンプルなライフスタイルへのあこがれ? 人それぞれだと思います。
単純に考えるなら、これは「夢を追い求めて、自分の好きなことを追い求めるべきだ」というメッセージでしょう。しかしその前提となっているものを見逃すわけにはいきません。
Alexにとって、最初に存在して、常に彼を導いているのは「登る」という彼自身言葉にならない衝動です。そしてその衝動のまわりに生活を組み立てた結果、いまのこうしたスタイルになったのです。
登るのが上手だから彼は山を登ることに決めたということでもないのでしょう。人間を拒絶する絶壁に全力で挑むからこそ、彼のなかから最適な登り方、完璧な登り方が引き出されている。彼の言葉はむしろそのように読み取れます。
夢を追い求めなさいと彼がいうとき、それは安易な道として、低き道として私たちを誘っているわけではありません。恐ろしく、危険で、命を落としかねない無謀も承知で、それでもそれを望むならおいでと呼びかけているのです。
そしてそのコツは…ありません。常に登ること。つねに本番に身を晒していることが、すでに一つの完成された姿なのです。
もちろん、この「登る」ことを、他の何に変えたとしても成り立ちます。どんなに小さなものでもいい。あなたは登っているか? と Alex は問いかけているのです。