ケン・ローチ監督の「わたしはダニエル・ブレイク」を見ました
同じような体験をしている身内がいるので、共感しました
失われつつある社会的包摂
世の中には様々な社会サービスがあります
病気や怪我で収入が得らない生活困窮者のためのサービスです
しかし、情報弱者にとっては、その存在を知らずに、サービスを受けられないことがあります
また、複雑な制度や難しい用語がその利用を阻んだり、縦割り行政が利用者の利便性を損なったりします
健康なときには、仕事を通じて社会に貢献し、税金も納め、市民の義務を果たしてきたのに、いざ病気になると、市民としての生きる権利を奪われたかの様な状態に陥るのです
「わたしはダニエル・ブレイク」は、そのような社会的包摂が失われている現実を示し、生活困窮者が孤立する姿を描いています
これは映画の作り話とは言えず、同じ目に遭っている身内の存在をもって実感している私は、現実に起きていることだと思います
生きるということ
このように生きる権利を奪われていく姿を描いている映画ですが、「生きる」とはどういうことでしょうか
生物学的に言うと、生きるとは、「自然淘汰によって周囲の環境に適応していること」と言えます
我々は何気なく生きていますが、生きると言うことはそれだけで立派なことなのです
「周囲の環境」という社会に適応しながら生きてきたダニエルが、社会から人為的に排除を被ることがあるというのが、この映画の主題だと思います
「生きる権利が失われている現実がある」という警鐘を映画という表現方法で示しているケン・ローチ監督は、この年末に新しい映画を公開します
「家族を想うとき」です
この正月は彼の映画で映画初めとなりそうです