前回は、見えざる力が子供たちをポジション取りゲームに駆り立ててきたお話をしました
この「ポジション取り」というのは哲学者 内山節さんの言葉です
内山さんは、このポジション取りについて解説しています
近代は、民主主義、自由、平等、博愛というタテマエを「旗印」に立てて、「これは実現しうるもの」と言い続けてきた時代であった その実現の根拠として、先進国の富があり、富がある限り「旗印」を唱えることができる この「旗印」は資本主義と親和性があり、国家の中で資本主義のシステムが確立すると、国民は「このシステムの中でどう生きるか?」となり、人生は限られたポジションを巡るポジション取りとなってしまう
内山さんはこのような「タテマエ」を旗印に立てている社会を「近代社会の虚構性」と言っています
ユヴァル・ノア・ハラリ教授のいうところの「フィクション」と同じですね、「旗印」というのは
この旗印は、富がなくなると、限られたポジションに多くの人が群がる構図となり、ポジションを巡る叩きだしが始まります
米国のトランプ政権が進めるアメリカファーストというアメリカ第一主義がその例となります
そして、内山さんの見立てでは、日本の多くの人たちはポジション取りゲームという作られた虚構の中で、ポジションを奪い取る人生を強いられているとのことです
「生活のために、ポジション取りゲームの中でどう生き抜くのか」
「ポジションがステータスとなった世界で、そのあこがれをどうやって獲得するのか」
そういうことのために必死になっていくのです
ポジションについている人たちは、このシステムの正当性を示すために、タテマエの旗印を唱え、シポジション取りのシステムを守るのです(つづく)