新型コロナウイルスが社会にもたらしたこと
新型コロナウイルス関連のニュースが世間を騒がしていますね
ワールドニュースを見ていると日本だけでなく世界的に揺るがされています
国内では人が集まるイベントや会合が軒並み自粛となっています
働き方改革の一環として始めた在宅勤務は、新型コロナウイルス対策の施策に置き換わっているかのようです
とにかく人の移動が大きく制限されたことで、国内の経済活動は大きなダメージをうけています
「日本経済は人の移動が前提に成り立っていた」ということが改めて知らされる結果となりました
堅牢な社会を作るのか、それとも…
新型コロナウイルスのような外乱によって上手く機能しなくなるシステムのことを脆弱であると言います
外乱が発生しても上手く機能するためには堅牢なシステムを構築するというのが一般的な考え方だと思います
例えば、東日本大震災級の津波が来ても町が破壊されないように「スーパー堤防を作っておく」といったことです
新型コロナウイルスに関連したデマでトイレットペーパーの買い占めがおきましたが、経産省は南海トラフ地震を想定して、各家庭でトイレットペーパーを12ロール備蓄することを推奨しているとラジオで聞きました
これも堅牢なシステムを作ることに寄与しています
しかし、スーパー堤防の高さは、過去に起きた津波の高さといった条件を前提に置いているでしょうから、完璧とは言えません
「武器になる哲学」の著者である山口さんは、認識論研究者であるタレブが主張する「反脆弱性」を紹介しています
「外乱や圧力の高まりによってパフォーマンスが低下する性質」というのが「脆弱性」の定義なのだとすれば、対置されるべきなのは「外乱や圧力の高まりによって、かえってパフォーマンスが高まるような性質」ではないのか。これをタレブは「反脆弱性= Anti-Fragile」と名付けました。
「武器になる哲学」山口周著
堅牢性だけでは成し遂げることのできない社会の作り方に、タレブはヒントを与えるような気がします
それが反脆弱性というキーワードです
反脆弱性のある社会づくり
哲学者の内山節さんは、日本の脆弱性を次のように指摘しています
(前略)
現在の日本は脆弱だ。格差社会が広がり、病気になっただけで、生活が困窮する人々がたくさんいる。助け合えるようなコミュニティーを持たない社会も、ちょっとしたことで人々を追い詰めてしまう。さらに信用できない政治が人々を不安にする。だがこの状態は資本主義にとって好都合だった。自分しか頼るものがない社会では、人間たちは絶えず経済を意識し、現在のシステムの中で真面目に働くほかなかったからである。そしてそのことが脆弱な社会をつくった。今日では、政治も、そして私たちも経済のことばかり意識している。そういう社会の弱さが、私には気になる。
江戸時代の人々は、自分たちの仕事を大事にしていた。信頼される仕事をしていれば、多少の困難に遭うことはあっても何とか生きていける。そう思える社会基盤が存在していたのである。
「強靱な社会作りは」内山節、東京新聞 朝刊 2020/3/15
最後の江戸時代の話しは、1855年の安政の大地震が大工たちに大量の仕事をもたらしたことを受けての話しとなっています
社会の誰もから認められるような信頼される仕事は、多少の外乱が起きようとも仕事にあぶれることはないということでしょうか
加えて内山さんは助け合えるようなコミュニティーの必要性を説いているような気がします
この記事を読んだときに、反脆弱性のある社会作りに示唆を与えていると感じました
職場における反脆弱性
企業においては、何か問題が発生すると再発防止のために様々な対策をうつのが常です
チェックリストを作ったり、監視役を設けたり
これは堅牢性ある仕組み作りが志向されていることだと思います
しかし、これをやり過ぎることは鎧に鎧を被せることとなり、身動きの取れない状態に行き着きます
内山さんが言うような反脆弱性のあるシステムを職場に作ることの方が正解だと思います
社会の誰もから認められるような信頼される仕事を真面目に考えることや、社員同士が助け合えるようなコミュニティーを社内に築くことです
VUCA時代と騒がれているようですが、反脆弱性のある職場作りということも考える必要があるのではないでしょうか