ネットのない時代の感情の育て方
私の子供時代はネットがありません
好きなアイドル、音楽、趣味に関する情報は、テレビ、ラジオ、書籍、新聞、口コミから入手するしかありません
今のように膨大な情報をネットから得ることができずにいました
友達のお気に入りのミュージシャンの曲を聴いたり、ラジオから流れる曲を聴いたりして、「ちょっと自分の好みじゃないな」とか「これはイケる!」といったように、自分の好みに時間をかけて探していました
好きなミュージシャンは、レコードやラジオから録音したテープを何度も聞き、情報は音楽雑誌から取ったり、友達との会話の中から自分の知らない情報を得るというような生活でした
得られる情報量は恐ろしく少なかったと思います
そんな断片的な情報を補うものは自分の想像しかありません
いろいろと想像していく中で「自分の好きなものはやはりこれだな」と思いを強めてきました
こうして自分の「好きだ」という感情を育てていたと思います
ネットで起きていること
自分の感情を育てるポイントは「少ない情報を補う想像」だったと思います
現在のネット社会は、私の子供時代では考えられないほどの情報をもたらしてくれます
さらに不特定多数による「良い」「悪い」といった評価が一瞬のうちに集められ、その結果がランキングとして共有出来てしまう世界です
「皆がいいと言っているなら、それは良いことだ」
この評価至上の仕組みが「リコメンド」という形で商業とも結びついています
友達づきあいにおいても「何を好きだと言った方が友達が増えるだろうか」といったことに気を回さなければなりません
このような社会の中で、今の若者は「他人は関係ない。私はこれが好きなんだ」といった内側から湧くような感情を育てることができるのだろうかと心配になります
ネット時代に育ったI君のこと
この心配事は本物だろうか?
それを確かめたくなり、会社の中で若者を捕まえて、確認してみました
I君は中学生でWindows95のPCにモデムを繋げてネットを使い始め、高校生にはADSLを使ってネットサーフィンをしていた若者です
典型的なネット世代です
彼にインターネットの感想を求めたところ「限界が分かってしまいますね」と漏らしました
「どういうこと?」と聞くと、インターネットの膨大な情報を目の前にしてしまうと「それ以上の情報はもうないのではないか」という感覚になり、限界を感じてしまうのだそうです
これに加えて「未知なるものへの挑戦」といったやる気が起きづらくなるそうです
これを聞いたときは、ショックを受けました
心配事が本物なのだと
I君は将来の我が社を背負っていく世代の一人です
そのような人たちが「やる気」という内発性を削がれて育ってきたのかと
そんなI君をもっと知ってみたくなり、「何か好きなこととか、打ち込んでいることはないの?」と聞いてみました
すると「料理です」と答えてくれました
その理由を問うと「味覚はまだネットの世界で流通していません。そこには未知の世界が存在しているのです」と教えてくれました
I君は「未知なるものへの挑戦」といった内発的な動機を摩滅させることなく、料理の中に未知の存在を見つけ、打ち込んでいたのです
この話を聴いて、何とも頼もしく、幸せな気分に満たされました
まだまだ大丈夫です、日本の若者たちは