ときどき散歩をすることがある。
特に決まったコースや目的地があるわけでない。
スマホなどを持っていれば、道に迷う心配もないので、気ままに道を選んで歩く。
そんな散歩は、選択の連続である。
分かれ道に至ったとき、どちらに行こうかはその時の気分である。
袋小路に入る選択をし失敗することもあるが、想定をしなかった新たな発見をすることもある。
そんな出来事を振り返ると、自分が選んだ結果にも大いなる意思が働いている、なんてことも感じたりする。
たとえ間違って道を選んだとしても誰かに咎められることはない。
他人の目を気にしなくてもよい気軽さもある。
私は、失敗したことにいつまでもこだわってしまう方だ。
どうしてあの時違う手段を選択しなかっただろうかと引きずってしまう。
全ての世の中の人が間違った選択をしないと言うことはないはずだ。
私よりひどい間違いを犯して苦しんでいる人だっているに違いない。
間違った選択も、その時はそれが最善だったはずなのだ。
状況は普遍ではなく、常に変わるものだ。前提条件の変化が予期せぬ失敗を招いただけだと考えられないか。
また、失敗もその時点での価値観に照らし合わせた評価に過ぎず、その価値観さえも時間とともに変化すれば、異なる評価に転じるかもしれない。
昨今、失敗を忌避する風潮がある。おかげで思い切った事もできやしない。
生きて行くことは選択の連続。たとえ誤った選択をしてもそれは失敗の学習であり、進化のステップであり、新たな発見の機会である。
散歩で道に迷っても笑って許されるようなゆとりが欲しいものである。