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腹ごしらえも終わったので、後半の街めぐりです
流山の名産である白みりんには「天晴」と「万上」という2つのブランドがありますが、「天晴」の白みりんの創設者の1人である5代目秋元三左衛門は小林一茶と親交があったそうで、そのことが紹介されている一茶双樹記念館に向かいます
ここで、wikipediaにも書かれていない流鉄流山線の貨物引き込み線の情報を得ることができましたので、その捜索にも出かけます
一茶双樹記念館
一茶双樹記念館は直ぐに分かります
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入口の様子
敷地の案内図
小林一茶
一茶が流山で詠んだ句です
一茶の俳句「夕月や流残りのきりぎりす」の石碑がありました
お屋敷
入り口を入ると双樹亭の屋敷に出ます
近づくと紫陽花が咲いていました
双樹亭の庭先に回ります
双樹亭のお庭です
中の様子
白みりんのブランド「天晴」の掛け軸がありました
屋敷は上がることができるので、間近で掛け軸を鑑賞します
掛け軸のある間には付け書院がありました
釘隠しですね
デザイン性の高いものが多く、日本の古建築の魅力ですね
みりん工場の模型
天晴の白みりんの工場の模型です
当時はこの工場も流山にあったのですが、現在は日光に移転しているそうです
流鉄の貨物引き込み線の情報
流鉄の貨物引き込み線についてはかつて二つあり、万上線と糧秣線と呼ばれていました
万上線はwikipediaの「流鉄流山線」に書かれており、糧秣線はwikipediaの「陸軍糧秣本廠流山出張所」の説明に書かれています
そこに書かれているように、万上線はみりん工場に引き込まれ、糧秣線は平和台駅から上記の出張所まで引き込まれていました
糧秣線は軍事物資を輸送するために作られたものですが、この引き込み線はみりん工場にまで延伸されていた事実があったそうで、そのことが一茶双樹記念館にある資料に書かれていました
なんでもガソリン不足を補うためにアルコール燃料をみりん工場で作らせて、それを立川飛行場まで鉄道輸送するのが目的だそうです
このことはwikipediaにも書かれていません
そんなワクワクするような情報を得たからには、その延伸跡を探すしかないと思いました
廃線した万上線と糧秣線の散策
この2つの引き込み線を捜索するために、まずは情報収集です
流山本町まちなかミュージアムで情報収集
流山本町まちなかミュージアムは、流山キッコーマン工場に併設されている屋外の施設です
白みりんのもう一つのブランドである「万上」の味が引き継がれているのが流山キッコーマン工場だと書かれています
明治時代のみりん工場の絵図です
この地図の「2」が万上線の引き込み線跡のようです
引き込み線跡の説明が書かれています
残念ながら糧秣線の情報はありません
万上線延伸跡の捜索
まずは万上線の捜索にあたります
地図の通りに引き込み線跡へ向かうと説明用の看板がありました
万上線はその跡は道路となっており、今でもわかります
流山街道が横切りますが、万上線の跡はその先も進みます
すると前方に流鉄流山線をまたがる歩道橋が見えます
流山駅は直ぐそこです
きっとこのルートに万上線があったのでしょう
糧秣線延伸跡の捜索
次は糧秣線の捜索です
流山本町まちなかミュージアムには情報が全くなかったので、流山の地図上で糧秣線跡を想像してみました(赤線)
旧陸軍糧秣本廠流山出張所跡までは引き込み線があるとwikipediaにも書かれているので、出張所跡からみりん工場までの延伸線がないか探します
まずは旧陸軍糧秣本廠流山出張所跡に向かいました
そこには出張所跡を示す石碑があります
今はイトーヨーカドーが建っています
出張所跡から流山キッコーマン工場の方向に歩いて見ることにしました
すると流山第3公園という長細い公園が工場に向かって伸びていることが分かります
この不自然な形の公園は延伸線の跡地ではないですかね?
初めは公園に沿ってコンクリートの蓋がしてあるので、これが線路の跡かなあと思って、その先を調べてのですが、これは暗渠でした
他にも何か痕跡があるのでは?と色々と捜索してみたのですが、結局わかりませんでした
流山市立博物館で更なる情報の入手が必要だと思いましたが、閉館間近の時間切れとなったので、次回来訪したときにでも継続して捜索したいと思います
興味のある方はぜひ探してみてください(つづく)